鳥山明
とりやま あきら 鳥山 明 | |
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ニューヨークでのイベントにて(2002年) | |
生誕 |
1955年4月5日 日本 愛知県西春日井郡清洲町(現:清須市)[1] |
死没 | 2024年3月1日(68歳没) |
職業 |
漫画家 デザイナー |
称号 | 芸術文化勲章 |
活動期間 | 1978年 - 2024年 |
ジャンル | 少年漫画 |
代表作 | |
受賞 |
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サイン |
鳥山 明(とりやま あきら、1955年〈昭和30年〉4月5日 - 2024年〈令和6年〉3月1日[2])は、日本の漫画家・デザイナー。
プロダクションはBIRD STUDIO(バード・スタジオ)。愛知県清須市[3][4][5][6][7](旧:西春日井郡清洲町)出身[注 1][1]、同市在住[9]。血液型A型。妻は少女漫画家のみかみなち[10]。
代表作の『Dr.スランプ』の累計発行部数は3000万部を記録[11]、『ドラゴンボール』は2億6000万部を記録[12]、『ドラゴンクエストシリーズ』は、8,800万本の出荷本数を記録している[13]。
日本の漫画が海外で「MANGA」と呼ばれ、世界に広まるきっかけを作った先駆者であり、数多くの文化に影響を与え、「伝説の漫画家」「史上最も影響力のある漫画家」と評価されている[14][15][16]。
概要
1978年に『週刊少年ジャンプ』52号にて読み切り作品『ワンダーアイランド』でデビュー。集英社との専属契約下で『週刊少年ジャンプ』などジャンプ系列誌に作品を発表。代表作『Dr.スランプ』『ドラゴンボール』はいずれもテレビアニメ化され、1981年から1999年にかけてフジテレビ系列の毎週水曜日19時 - 19時30分は『Dr.スランプ アラレちゃん』から始まり、『ドラゴンボール』『ドラゴンボールZ』『ドラゴンボールGT』『ドクタースランプ』と、長期にわたり鳥山原作のアニメが放映されていた。
漫画家としての活動の合間にデザイナーとしても活動し、『ドラゴンクエストシリーズ』などのゲームやマスコットのキャラクターデザイン、プラモデルや車などのデザインを多数手掛けている。漫画家デビュー以来、地元で活動を行っており、『Dr.スランプ』単行本(1980年発行)の描きおろしページによると、当時は名古屋空港(小牧空港)から航空便で東京に原稿を送っていた[注 2][19]。初代編集担当者の鳥嶋和彦によれば、鳥山は『Dr.スランプ』連載中も東京で暮らすことを嫌がって地元の愛知で暮らしており、連載中に一度でも原稿が締め切りに間に合わなかった場合は東京で暮らしてもらうという約束で連載をしていたが、結局一度も原稿を遅延させることはなかったという[20]。
1980年から1990年代の『(週刊少年)ジャンプ』の全盛期を支えた立役者であり、当時編集長を務めた西村繁男は、「『週刊少年ジャンプ』発行部数600万部達成の快挙は、鳥山明の破壊的なパワーを借りて初めて実現し得たことは、誰も否定できないだろう」と評価している[21]。
『Dr.スランプ』と『ドラゴンボール』は2024年の現在でも、コマーシャルに起用されたり、グッズが作られるなど根強い人気を博している。
2024年3月1日、急性硬膜下血腫のため死去。68歳没。訃報は同8日に『週刊少年ジャンプ』公式サイト、集英社、バード・スタジオおよびカプセルコーポレーション・トーキョーの連名で公表された[22]。
生涯
幼少時代
初代担当編集者の鳥嶋和彦は、「家は貧しかったが両親共にのんびり屋の性格で、食べ物を買うお金がない代わりに、両親は二人でワルツを踊るような人だった」と述べている。
鳥山自身は絵を描くことが好きで、腹を空かせながら漫画を描くのを唯一の楽しみにしていた[23]。欲しい物があるとそれを手に入れるまで、あるいは興味がなくなるまで絵に描き続ける癖があり、その癖は漫画家になって以降も続いている[24]。「当時通っていた絵画教室で描いた『101匹わんちゃん大行進』が表彰されたことで自信を持った」と言い[25]、小学校の写生コンクールで数回入賞し、高校時代には美化キャンペーンのポスターで全国高校生の部で入賞している[26]。妹がいる。よく悪戯をしていて、父親に怒られていた[27]。
尊敬していた漫画家は手塚治虫とウォルト・ディズニーで、『鉄腕アトム』に登場するロボットを毎日いたずら描きしていた[28]。一番影響を受けたのはディズニーアニメであり[29]、『101匹わんちゃん大行進』にディフォルメの影響を受けて毎日模写をしていた[30]。
愛知県西春日井郡清洲町(現:清須市)の町立清洲中学校[31]、同県一宮市の愛知県立起工業高等学校(現在の愛知県立一宮起工科高等学校)デザイン科を卒業した[32]。幼少時は漫画やアニメに熱中したが、小学校高学年以降は映画やテレビドラマに興味の対象が移り、漫画に触れる機会が無くなっていた[33][34]。しかし、絵を描くことは変わらず好きで自信もあったため、起工業高校デザイン科に進学した。高校時代は美術部に所属した[32]。
「高校時代はマンガ研究同好会に所属し、同好会の会長にもなったが漫画を描くことはなかった」という[35]。鳥山が漫画同好会を設立するに当たり、教諭に同会顧問に就任してほしい旨を頼んだところ、教諭は一旦は「漫画を描いている暇があったら、デッサンでもやっておきなさい」と断ったものの、鳥山は別の教諭に依頼して同好会を発足させ、後に部に昇格した[32]。1974年に同校を卒業した。
デザイン会社時代
高校を卒業した1974年、絵を描く仕事に就きたいと思い、地元の広告関係のデザイン会社「第一紙行名古屋支店」[36]にデザイナーとして就職した。
しかし、平然と遅刻を繰り返し[37][38]、レタリング作業が主な仕事になり嫌気が差していたという。最終的に、約2年半[39]ほど経った1977年[40]1月[41]に退職した。本人は「わずかでも世間の仕組みを知ることができて、無駄ではなかった」と述べている[39]。
デビューまでの経緯
デザイン会社を退職後、1年間はアルバイトでイラストを手掛けていたが[26]、その後は遊ぶ金もなく途方に暮れていたある日、喫茶店で偶然手に取った『週刊少年マガジン』で、新人賞の作品募集の記事を見つける。入賞すると賞金50万円が手に入ることを知り、23歳にして初めて漫画を描き始めた[42]。結局、締め切りには間に合わなかったため、1978年1月に『週刊少年ジャンプ』の新人賞である月例ヤングジャンプ賞へ応募作品の『アワワワールド』を投稿する[29][43]。投稿したのはギャグ漫画であるが、その理由はストーリー漫画と賞金が一緒なのにページ数は半分であったため[38][44]。
投稿した作品は入賞には及ばないものの[45]、すぐにまた描き上げた鳥山の投稿作品『謎のレインジャック』を目にした『週刊少年ジャンプ』の編集者の鳥嶋和彦は作中の描き文字(擬音、擬態語など、写植以外の文字のこと)をカタカナでなくアルファベットを使用していることや、対象を様々な角度から描けること、絵が丁寧に描き込まれていることにセンスを感じ[38][46]「今は下手だが頑張れば何とかなるかもしれないから、もっと描いて送ってよ」とアドバイスをした[43]。この頃は『スター・ウォーズ』のパロディなどを描いており[46]、一部の作品は後にファンクラブの会報に掲載された。なお、この作品自体はパロディは賞の対象にならない規定により選外になった[38]。
鳥山は厳しくネームのボツ(不採用)を出す鳥嶋のもとで懸命に修行することになる。この間のボツ原稿の総量は、1年で500ページにも及んだ[38][47]。
鳥山明は本名である。デビュー前は「どうせ売れる訳がない」と思っており、ペンネームを使う発想もなく本名で通した[29]。『Dr.スランプ』第11巻によれば愛知県に3軒しかない変わった名前で、デビュー直後はイタズラ電話がよくかかって来たという。そのため、“水田二期作(みずたにきさく)”というペンネームを使おうとも考えたが、担当者に「つまらん」とボツにされた[28]。「本名を使ったことが漫画家になって一番後悔したこと」であるという[29]。ただし、鳥山明のデビュー当時の愛知県の電話帳を調べると、名古屋版の五十音別電話帳に載っている、局番が名古屋市と同じだが名古屋市でない地域の鳥山家は3軒であるものの、その他に名古屋市内の鳥山家が77軒載っている[48]。愛知県三河地方の各電話帳にも合わせて260軒ほどの鳥山家が載っている[49]。
Dr.スランプの連載
1978年、『週刊少年ジャンプ』にて読み切り作品『ワンダー・アイランド』でデビューを飾るも、読者アンケートの結果は最下位であり[50]、その後『週刊少年ジャンプ』本誌や増刊号で発表した短編作品の人気も、芳しいものではなかった。しかし、鳥嶋は鳥山の手を離すことなく「面白い漫画を作り上げよう」と打ち合わせを重ねた。そして『Dr.スランプ』の基本コンセプトが誕生した。鳥山は当初、自称天才科学者の則巻千兵衛を主役と決めており、則巻アラレは脇役と考えていたが、鳥嶋は「アラレを主人公にした方が良い」と提案した[51]。そこで、賭けをすることになった。鳥山が苦手とする、女の子を主人公とした作品を読み切りとして『ジャンプ』本誌に掲載し、読者アンケートで4位以下だったら千兵衛を主人公、3位以内だったらアラレを主人公にするというもの。賭けに乗る形で描いた作品が、1979年に発表した『ギャル刑事トマト』である。アンケートで3位を獲得、主人公はアラレに決まった。ただし、『Dr.スランプ』(ドクター≒千兵衛)というタイトルだけは譲らなかった[52][53]。
1980年5・6合併号より『Dr.スランプ』の連載開始。瞬く間に人気作品となり、早々にテレビアニメ化が決定。タイトルに“アラレちゃん”と追加され、1981年4月より『Dr.スランプ アラレちゃん』としてフジテレビ系列の水曜19時台枠で放送開始。一大ブームを巻き起こす。最高視聴率36.9%を記録、歴代アニメ最高視聴率で3位になる[54]など大ヒットアニメとなった。鳥山の地元である東海3県の東海テレビでは関東以上に視聴率が高く視聴率40%超を記録している[55]。
ジャンプ・コミックス第5巻は、『ドラえもん』(第19巻)の120万部を上回り[56]、第6巻は初版220万部を記録した[56]。
連載1年目は、睡眠は3日に1回[57]、最高記録となる6日連続徹夜[29]、ペン入れの記憶がない回がある[58][59]などと多忙を極めた。
『Dr.スランプ』連載中の1982年、松本常男(現キャラメル・ママ会長)により鳥山明公式ファンクラブ「鳥山明保存会」が運営開始される。松本は「最初は『Dr.スランプ・ファン・クラブ』と名付けるはずだったが、トリさ(鳥山明)を見て『保存』するしかない、ということでこの名前になった」と語っている[60]。
ドラゴンボールの連載
アイディアの不足を理由に『Dr.スランプ』の連載終了を相談したところ、「3か月後に新連載を始めるのなら終わってもいい」と言われ[29]、次回作のネタを固めるために読み切り漫画『騎竜少年』『トンプー大冒険』を描きつつ、1984年8月に『Dr.スランプ』の連載を終了。
同年11月に『ドラゴンボール』の連載を開始する。当初は西遊記にコメディや格闘漫画の要素を加えた、孫悟空という少年の冒険譚であった。連載開始当初は期待も大きく反響もあったが、徐々に読者アンケート順位は下降[29]。鳥嶋と分析を重ね、悟空に魅力がないという結論に至った。そこで貪欲に強さを追い求めるキャラを際立たせ、格闘大会天下一武道会という大舞台に向けて修行に励む過程を描く明快なストーリーに軌道修正[52]。すると低迷していたアンケート順位がV字回復し、『ジャンプ』の看板作品に躍り出る。以降、次々と登場する強敵・難敵との戦闘や修行をメインに据えた物語となった。しかし、戦闘シーンが多くなるにつれ、小柄な少年体型の悟空では動き(アクション)に限界があり作画が難しく、連載をやめたいと申し入れたことがある[52]。編集長から合意を得て、悟空を青年(大人)の体型にすることで連載継続に合意した(悟空が成長し、第23回天下一武道会に出場した場面)。
1986年から1997年まで『Z』『GT』と二度の改題を経て放送されたテレビアニメシリーズは、平均視聴率20%を維持した[61]。また『Z』の放送開始から20周年となる2009年には、『Z』のデジタルリマスター再編集版である『改』がフジテレビ系列の日曜9時台枠で放送開始され、2009年 - 2011年に第1期が、2014年 - 2015年に第2期がそれぞれ放送された。『改』放送終了後の2015年から2018年には、鳥山が原案を手掛けた完全新作テレビアニメ『超』が同枠で放送されている。
ドラゴンクエスト
『ドラゴンクエストシリーズ』のキャラクター、モンスターデザインを1986年の第1作『ドラゴンクエスト』から担当している。堀井雄二の描いたラフ絵を基にデザインしているものもあるが、スライムに代表されるように自分のアレンジを加えており、キャラクターデザインに至ってはほとんど別物になっている。堀井のラフ絵では目も口もないドロっとしたスライムであり、鳥山により「ドロドロしてデザインしにくかったから」という理由で、液体で雨粒様のデザインになった[62]。また、タイトルロゴの青いドラゴンは鳥山が描きおろしたものである。デザインを手掛けた榎本一夫(バナナグローブスタジオ)の提案で、ロゴに竜を描き加えることになり、鳥嶋を介して依頼を受けた[63]。なお、専属契約上の問題で公式攻略本にはイラストが載せられず、鳥山の絵が掲載されているのは集英社から出ているファミコン神拳奥義大全書やVジャンプブックスゲームシリーズに限られている。このため、公式攻略本では鳥山明風の作画ができる村上ゆみ子などに委託している。
鳥山は当時「コンピュータRPGをやったことがなかったため初めは苦労したが、『ドラゴンクエストII 悪霊の神々』以降はどんな感じかわかったのでやりやすかった」と語り、『ドラゴンボール』のストーリー全体にかかわるような影響を受けたという[30]。『ドラゴンクエストIV 導かれし者たち』が発売された段階で、『ドラゴンクエスト』のイラストの中では『ドラゴンクエストII』のパッケージイラストが一番気に入っていると語っている[64]。なお、キャラクターなどが多く面倒なため『ドラゴンクエスト』の漫画を描くのは絶対に嫌だという[65]。
鳥���の紹介により「あっ、いいですよ」という軽い気持ちで引き受けたが、30年以上続くシリーズになるとは想定しておらず、「そんなに続くなら断っていた」と心境を語っている。キャラクターデザインは楽しくもキツい仕事であるといい、最初はなんでもない雑魚キャラクターを自由にデザインをしていたが、回を重ねていく内に個人的にあまり興味のない健全なメインキャラクターのデザインが多くなり、ある程度の時代設定や細かく指定されるデザイン設定のため自由に書かせてもらえなくなり、今は騙し騙しで描いているという。ただし引き受けた仕事は目一杯やる主義であり、今後も一生懸命デザインすると語っている[66][出典無効]。
『ドラゴンクエスト』のデザインは当初ドットで描いてきたというエピソードを堀井雄二や鳥嶋和彦が述べているが[67]、これは実際は『ドラゴンクエストII』のときであり[68]、当初の話ではない。このときのドット絵風に描かれた原画は、後年の画集にも掲載されている[69]。
その後の活動
『ドラゴンボール』がテレビアニメとの関係でアニメスタッフに原稿を下描き状態で見せなければならなくなるなど、精神的にも肉体的にもハードな連載になったため、長期連載を辞めることを決断。1995年の『ドラゴンボール』の連載終了後は、デザイナー仕事の合間に『週刊少年ジャンプ』およびジャンプ系列誌での読み切り、短期集中連載作品がメインになっている。
1997年11月から1999年9月まで放送された『ドクタースランプ』において、初めてキャラクター原案を担当する[70]。1997年の短期集中連載『TOKIMECHA』を一部CGで製作したのをきっかけに、2000年代以降はコンピューターでの作画に移行。フルカラーでの作画が多いのが特徴となっている。『SAND LAND』と『ネコマジンシリーズ』は日本国外でも翻訳出版された。
また、2003年には絵本『てんしのトッチオ』を発表。2009年にはNPO「田園社会プロジェクト」が発行する環境教育教材『最終戦略 バイオスフィア』に読み切り漫画『おいしい島のウーさま』を発表。集英社との専属契約上描けないことになっているのを特別に許可してもらったものである[71]。
2007年3月には、『Dr.スランプ』の最終回から1年後の物語『ドクター・スラ��プ2007特別編 Dr.MASHIRITO ABALEちゃん』を執筆した[72]。
2013年7月から10月まで、『週刊少年ジャンプ』で『銀河パトロール ジャコ』を短期集中連載した。2013年3月30日には鳥山が初めてアニメシリーズに脚本から深く関わった『ドラゴンボールZ 神と神』が公開。2015年4月18日にはその続編となる『ドラゴンボールZ 復活の「F」』が公開され、こちらでは単独で脚本を務めている。また、2015年7月から放送の『ドラゴンボール超』において、ストーリー&キャラクター原案を担当する。
2017年11月、租税回避に関する流出文書、パラダイス文書に鳥山の名が記載されており、投資組合に出資していたことがわかった[73]。ただし本人によれば資産運用は完全に税理士任せで、報道を見て知ったという。この組合は12人の投資で組成されていたが赤字に陥り、本業の所得からの控除が認められず修正申告を行ったことで知られていたが、パラダイス文書の解析の結果、そのひとりが鳥山であったことが判明した[74]。この報道を受けて11月8日に自宅前で『FLASH』の突撃取材に遭い、顔出しをすることになった[75]。
死去
2024年3月1日に急性硬膜下血腫のため68歳で死去した[76][77][78]。訃報は3月8日に『週刊少年ジャンプ』の公式ウェブサイトおよび『ドラゴンボール』公式サイトで公表され、葬儀は近親者だけで行われた[22][79]。
内閣官房長官の林芳正は3月8日午後の定例会見において、訃報に触れ、「(鳥山の作品によって)日本のコンテンツが幅広く世界で認知をされるなど我が国のソフトパワーの発揮に重要な役割を担った」と述べた[80]。また鳥山の居住地で、市制20周年記念ロゴをデザインした[81][82]清須市は、市の公式サイトで追悼のコメントを発表した[83]。同市の市立図書館では、『ドラゴンボール』など鳥山の関連作品を集めた追悼コーナーが開設された[31]。
鳥山の元アシスタントで、漫画の連載終了後も交流を続けてきたイラストレーターのまつやまたかしが2023年秋に鳥山宅を訪問した際、鳥山から「2024年2月に脳腫瘍の手術を受ける予定である」「外側だから、それほど大変じゃない」「禁煙するのが辛い」といった内容の話を聞かされ、松山は、退院後に見舞いをする旨を伝えたという[84][85][86]。
鳥山が手掛けた『ドラゴンボール』作品は、2024年秋より放送されることが発表されていたテレビアニメ『ドラゴンボールDAIMA』が最後となった[87]。
2024年3月9日に開催された『第18回声優アワード』では、鳥山がアニメ業界に多大な貢献をしたことを理由に、同日に訃報が伝えられた声優のTARAKOとともに授賞式の冒頭で異例の黙祷が15秒間行われた[88]。
鳥山を見出した初代編集者の鳥嶋和彦は、2024年3月26日(25日深夜)に自身がパーソナリティを務めるラジオ番組『TOKYO M.A.A.D SPIN「ゆう坊&マシリトのKosoKoso放送局」』において鳥山明追悼回を放送。45年に及ぶ鳥山との信頼関係や仕事ぶりをはじめとする、その胸中を語った[89][90][注 3]。
『週刊少年ジャンプ』2024年17号で、連載中の漫画家20人が追悼コメントを寄せた[91]。
- 追悼コメントを寄せた漫画家一覧、尾田栄一郎、芥見下々、権平ひつじ、戸塚慶文、宮崎周平、鈴木祐斗、松井優征、篠原健太、三浦糀、馬上鷹将、末永裕樹、眞藤雅興、藤巻忠俊、川江康太、林快彦、外薗健、逸茂エルク、寺坂研人、雨宮ケント、松井琳、沼駿
海外報道
海外でも死去のニュースが速報で伝えられ、BBC[92][93]、ニューヨーク・タイムズ[94]、フォーブス[95]、ル・モンド[96]、中国中央テレビ、聯合ニュース[97]、アル=アラビーヤ[98]ほか数多くのメディアが報じた[99][100][101][102][103]。フランスの有力紙『リベラシオン』は、一面トップに孫悟空のイラストを掲げたうえ社説を掲載、「若者を対象とする今世紀の文化は、事実上すべて鳥山明の影響を受けている。 (…) 鳥山はかつて子供の心をとらえていたタンタンやスーパーマンとは全く異なる方法で〈成長への旅〉を再発明してみせたのだ」と急逝を悼んだ[104]。
また、一時Xや新浪微博(ウェイボー)のトレンドワードでも1位になるなど、SNSでも世界中から哀悼の言葉が続々と投稿された[103][105]。アメリカでは訃報が発表された同じ時間に行われていたアメリカ合衆国大統領ジョー・バイデンによる一般教書演説に関する投稿数を一時���える事態となった[106]。
中国外務省報道官の毛寧は「著名な漫画家で、彼の作品は中国でもとても人気があった」と評価した上で深い哀悼の意を表明した[103][107]。フランスでも同国大統領のエマニュエル・マクロンと同国首相のガブリエル・アタルがそれぞれXにて追悼のコメントを投稿した[103][108]。ブラジルの副大統領で以前から同国政府の政策説明やトヨタ自動車による同国への大規模投資に対する感謝のメッセージの際にドラゴンボールのキャラクターを使用していたジェラルド・アルキミンもSNSにて追悼コメントを発信している[103][109]。
韓国では、訃報が伝えられて以降の3月11月から13日までの『ドラゴンボール』の単行本の販売数が先週比1277%増と急増した。また、『Dr.スランプ』の単行本の販売数も先週比290%増加した[110]。
台湾では、台湾国内で『ドラゴンボール』など鳥山明の書籍の出版を手掛けてる東立出版社が、鳥山明の全書籍の重版を決定した[111]。東立出版社は「鳥山明の全作品を順次重版する予定です。特別な記念版はないかもしれないが、重版を通じて台湾のファンが鳥山明の作品を再訪できることを期待している」と述べた[112]。
中国でも作者の訃報が速報で伝えられ、新京報(電子版)は「日本の漫画黄金時代の中核人物であるだけでなく、世界の漫画界の一里塚となる人物だった」と鳥山を評価し[113]、中国のSNS微博(ウェイボー)で「鸟山明去世(鳥山明死去)」のワードが入ったポストの閲覧数が1時間で2億4000万回を記録し、中国でも悲しみの声で溢れた[114][115]。
香港の俳優ジャッキー・チェンは、SNSに鳥山との2ショット写真と共に「鳥山明先生、あなたがあんなにも多くの名作を作ってくださったことに感謝します。それらは永遠に世界とともにあるでしょう。ご冥福をお祈りします」と偲んだ[116]。
ペルーでは、鳥山明を偲んで現地の数十人のアーティストが長さ110メートルに及ぶ、『ドラゴンボール』の巨大壁画を描いた[117]。
『ドラゴンボール』はアニメを通じて南米各国でも人気があり、とくにアルゼンチンでは、訃報が伝えられると、首都ブエノスアイレスに数千人が集まって「アキラ」と連呼し、全員で「元気玉」にエネルギーを送るポーズを繰りかえして死を惜しんでいる[118]。
エルサルバドル政府は鳥山明の死去を受けて公式声明を発表し、「鳥山明氏の逝去により、エルサルバドルは日本に哀悼の意を表します。エルサルバドルは非常に悲しいことですが、ドラゴンボールの作者である有名な芸術家、鳥山明の死を悼みます。」と追悼し、エルサルバドル全土で追悼期間を設けると発表した[119]。
マイクロソフト社は、鳥山明を追悼して、Xbox Series X/S、Xbox One用に鳥山明が手掛けた『ブルードラゴン』のダイナミック背景を無料配布した。マイクロソフトXbox公式アカウントは「真のレジェンドに敬意を表して」と述べた[120]。
作風
作画方法
- 面倒くさがり
- 初代編集者の鳥嶋和彦によると、『Dr.スランプ』では「一番簡単だから」という理由で、丸い山に木があるだけの背景にしたという[46]。『ドラゴンボール』では、描くのが大変な市街地などの背景で闘いに入ると爆破させる[121]、もしくはすぐに登場人物を荒野に移動させたり[122]、超サイヤ人を金髪にすることでアシスタントのベタ塗りの時間を節約させる、などのエピソードがある[121]。『Dr.スランプ』の途中から『ドラゴンボール』までアシスタントは松山孝司1人しか使っておらず、いつも悟空の髪の毛のベタ塗りに時間を取られていたため、鳥山は「超サイヤ人を登場させたことでアシスタント君との約束をやっと果たすことができた」と語っている[123]。
- しかし鳥山は2015年に「ボクはいつもそうなんですが、人と話す時、特に収録などされていると余計に面倒だからとか、なんとなくとか、ちょっと格好つけて苦労を悟られないように話してしまうという、つまらないクセがあります。もちろん、そんなに面倒くさがりだったら漫画など描けないし、なんとなく描けるほど漫画家という職業は甘いものではありません。なんてことないようなフリをしていますが、陰ではけっこう頑張っているんです」「ジジイになった今だって、漫画の仕事こそあまりしませんが、わずかな睡眠時間であれこれ頑張っています。それでもなかなか満足できるような仕事はできません。自信のあるような態度も、じつは自分を追い込んでいるだけです。よく言われることではありますが、本当に永遠に勉強だと思っています」と言っている[124]。そして「また、少しだけ話を大げさに盛ってしまったり、プチ自慢したり、言ってることが変わってしまうのも我ながら感心しませんね。へそまがりなうえに孤独好きで人付き合いの悪い部分は、職業的にプラス部分もあったりするので反省はしませんが、人間的にはどうなんでしょう」と言って「流行に乗るな、とまでは言いませんが、わしの作品について来い!なんて言うぐらいの流れに逆らう根性とセンスと個性は、できれば身に付けてほしいですね」とアドバイスしている[124]。
- かつてのインタビューではマンガ製作の準備・練習が嫌いなことを公言しており、鳥嶋にも鳥山ほど資料を持っていない作家はなかなかいないと言われている[125]。ただし鳥嶋は鳥山のことを「基本的な絵の勉強を漫画ではなく、デザイン画などから学んでいるため、バランス感覚が優れている」「トーンを使わないので、白と黒のバランスを取るのが非常に上手い」「背景などを描かなくても画面が持つだけの構成力とデッサン力を持っている」とも評している[46]。
- 3代目編集者の武田冬門によると、インタビューではよく「ペン入れが嫌い」や「ネームがしんどい」と言っているが、実際にはほぼ言わないという[126]。
- トーンについて
- 漫画作品では、あまりタッチをつけない均一な線が用いられており、デジタル作画を導入する前はスクリーントーンの使用が少なかった。前述のように鳥山は自身のことを非常に面倒臭がりだとしており、本人は「切ったり貼ったりするのが面倒だから、というより好きではない」と語っている[121]。ただし、トーンが嫌いなわけではなく、むしろ使いたいとも述べていたこともあり[127]、デジタル作画導入以降の作品ではトーン処理された画面が増えた。
- ネームは描かない
- 一般的に漫画作品は、ネーム、下描き、ペン入れの工程を経て完成する。鳥山も初期はネームを作成した上で下描きをしていたが、その後はネームを描かずに、下描きから始める製作方法を取るようになった(『Dr.スランプ』の連載中期以降、それを逆手に取ったような描写も見られるようになる)。これは「3度も描くのが面倒」と、担当編集者の鳥嶋に進言したことによる[121]。2代目担当編集者の近藤裕は「いきなり下描きが上がってくるから、描き直しをさせていいものかどうか」と、戸惑ったという[128]。
- CGによる制作
- 『ドラゴンボール』連載終了後にバンダイからMacをもらい、使い方を教えてもらったのをきっかけにデジタル制作を始め[129]、以降は制作過程でCGを用いたものがかなりの割合を占めており、「パソコンが無ければ絵を描くのが完全に嫌になっていた」[121]「よくパソコン塗りは味がないなんて言われるが、芸術作品を描いているわけでもないので」[130]とのこと。デジタル化以降のカラーでは、特徴的であったメリハリの利いたアニメ絵のような塗り方から、境界を明確にしないグラデーション塗りに変わっている(特に陰影の塗り方に顕著)。ただしCGを用いるようになった後も『ネコマジン』などの漫画作品は以前と同様に原稿用紙にペン入れしてベタとトーンだけをPCで作業しており、ゲームのデザイン画やイラストを描くときのみペンタブレットを使用している[129]。
- 模倣の難しさ
- とよたろうとの対談で、「鳥山先生の絵は、一見するとシンプルなので、連載当時に僕たち子供は描けるような気がしちゃったんですよね。でも実際に描いてみるともう何か、圧倒的にちがうんです。どうやっても『本物の悟空』にならない…」(とよたろう)、「そうかもしれないですね。プロのアニメーターさんが描いても『ちょっとちがうかな〜』って思うことがあるくらい(笑)。僕のは線がシンプルだから、かえってむずかしいのかもしれませんね。自分しかわからない線っていうのがあるのかなあ」(鳥山明)と語っている[131]。
- 使用道具
- インクはパイロット製図用インクか証券用インク。ペンはゼブラGペン、たまにコピックペン、ピグマ[132]。着色は昔はルマのカラーインク、現在はほとんどパソコンで、使用ソフトはAdobe Photoshop、たまにCorel Painterを使用[132]。また「ペン入れの際スベスベの紙を使えばスムーズな線が描けることを、ほとんどマンガを書かなくなった最近になって発見。これまで使っていた紙は質が悪かったようでちょっとショック」と語っている[132]。
人物以外の物
- 様々なメカ
- 作中にロボットや車、バイクなどが多く登場するのも特徴のひとつで、かつてバイクレーサーだった父親が自動車修理屋を経営していた影響もあるとのこと[133]。『Dr.スランプ』では表紙や扉絵に車ばかりを描いていたら、鳥嶋に「いい加減飽きた、この漫画は車が主人公だっけ?」と嫌味を言われたことがある[134]。ただし、構造に詳しいわけではなく、専門用語などは理解できないという[135]。他にも『スター・ウォーズ』など好みのSF映画からの影響が強い。オリジナルのメカを考えるのが一番楽しいときであり、どのように乗り込むのか、どこにエンジンが付いているのかなどをきちんと考えて描いているとのこと[127]。
- 動物好き
- 脇役に擬人化した動物キャラクターが多いのは、「人間だけだと顔を描き分けるのが大変だから」[136]、「動物好きということもあるが、基本的に人間より安易にバリエーションが増やせるから。特に犬は人間よりはるかに忠実でピュアなイメージなので多用している」[137]とのこと。多くが人間の言葉を操るなど普通に人間社会に溶け込んでいる。元来が少年時代に「馬やチンパンジーを飼いたい」と親に駄々をこねたほどの動物好きで、犬や猫を始め、ウサギ、鳥類、魚類などの飼育を趣味としている[138]。ハイギョの飼育がテーマの短編作品『ハイギョのマヒマヒ』を執筆しており、『Dr.スランプ』にも、村の乱暴者がブンチョウの飼育を通じて更生する、などのエピソードがある。唯一ネズミだけは苦手だったが、子供にせがまれて飼い始めたハムスターの影響で苦手意識が薄れた、と語っている[29]。
話作り
- 話作りについて
- もともと先の展開をじっくりと考えて描くタイプではなく、『ドラゴンボール』では行き当たりばったりで描いていたことが多いとのこと。鳥山自身、自分でもどうなっていくのかわからなくて、なかなかドキドキわくわくして描けて悪くないという。また、悟空が大猿に変身したりサイヤ人だったと設定は当初まったく考えておらず、こういう辻褄合わせは上手いと語っている[139]。『Dr.スランプ』でも、作中で行き当たりばったりで考えていたことをネタにしていた。また、「鉛筆で実際にコマを割って絵や台詞を書いたりして話を進めていくと、頭で考えていた漫画と、ちょっと違ってきてしまうことが僕はよくある」と発言している[140]。ただし、「少年漫画で宇宙を出すと失敗する」と言われていたため、『ドラゴンボール』でナメック星を出す際はかなりつじつまが合うように設定を作り込んだという[122]。
- 「普通はこう考えるところを逆手にとって面白くできないか」と考えており[141]、へそ曲がりな性格から「天下一武道会で悟空が優勝するんでしょう」と周りに言われてなかなか優勝させなかったり[142]、「ベジータを殺さないで」というファンの意見を聞いてワザと殺したりすることもある[143]。また、『ドラゴンボール』連載初期でも「戦いの場面を増やせば受けるということは分かっていたが、天邪鬼な性格だからシャクに障る」と、すぐに戦いのほうにシフトはしなかった[144]。
- 『ドラゴンボール』の連載については「絵を描いている時よりも話を考えている時の方が仕事にしてはちょっとだけ楽しいかも」「でも後半の方の話は結構無理して考えていたから苦しかった」と語っている[145]。また、新しいことを考えるために連載が終了した漫画のことはわざと忘れるようにしていると語っている[146]。
- 恋愛マンガ嫌い
- 「ラブコメは読めない、ダメ」と語ったことがあり[125]、ラブコメ好きの鳥嶋が出したアラレとオボッチャマン、あかねと突詰、タロウと鶴燐、悟空とブルマを恋愛させろという指示に対しては頑なに拒否し、千兵衛とみどりの結婚をあっさりと済ませ[147]、ドラゴンボールでも悟空とチチの結婚をあっさりと描いている。
評価
『Dr.スランプ』はテレビアニメ化され、社会現象を巻き起こすほどの大ヒットとなった。この大ヒットにより、それまで漫画作品のアニメ化に積極的ではなかった少年ジャンプ編集部にも影響を与え、今ではどの出版社でも当たり前に行われているメディアミックス化を行うようになった[148]。
『ドラゴンボール』は全世界累計で2億6000万部を記録。市場規模は230億ドル(3.4兆円)を記録。これは日本の漫画市場で1位である[148]。
『ドラゴンクエストシリーズ』は第1作目からキャラクター・モンスターデザインを手掛け、「国民的RPG」と評されている[148]。
2018年にテレビ朝日系で放送された「陸海空 地球を征服するなんて」の番組内で行われた「メキシコでもっとも有名な日本人」調査で1位に選ばれた[149]。
受賞歴
- 1981年 第27回小学館漫画賞 少年少女部門受賞(『Dr.スランプ』)
- 2000年 第4回文化庁メディア芸術祭 デジタルアート・インタラクティブ部門大賞受賞(『ドラゴンクエストVII エデンの戦士たち』)
- 2006年 日本のメディア芸術100選 マンガ部門3位選出(『ドラゴンボール』)
- 2013年 第40回アングレーム国際漫画祭 40周年記念特別賞受賞[150]
- 2019年 フランス芸術文化勲章シュバリエ受章[151][152]
- 2024年 東京アニメアワード2024 アニメ功労部門受賞[153]
人物
性格
- 人付き合いは苦手
- 人付き合いが苦手だと公言しており、家族と気の合う友人、信頼できる仕事仲間以外の人物とは積極的に会いたいとは思わないと語っている。田舎在住であるのも同じ理由からとのこと[154]。ただし1980年には、母校である清洲中学校の生徒たちが自宅を訪ねてきた際に快くサインの申し出に応じており、彼らの担任教諭だった男性(2024年3月時点で66歳)は同月時点で、教え子たちが「先生の分も」と頼んで鳥山に描いてもらった『Dr.スランプ』のサイン画を大切に保管しているということが報じられている[31]。
- 1982年に少女漫画家のみかみなち(1976年デビュー、1985年に引退)と結婚。出会いのきっかけは、鳥山がイタズラ電話をかけたのが始まりである[155]。「あのセンスと知識にはかなわない」と妻を評している[29]。また長女も自身の母校である清洲中学校に在学していた2004年時点で美術部に所属し、部を挙げて「読売国際漫画大賞」への作品応募に挑戦していたことが報じられている[156]。
- 親交がある漫画家に、桂正和がいる。
趣味・嗜好
- モデルガン・プラモデル好き
- プラモデル作りの腕前はプロ級で、株式会社タミヤが毎年主催している1/35フィギュア改造コンテストで複数回入賞。1986年開催の同コンテストでは金賞を受賞している[157]。また愛知県唯一のプラモデルメーカーファインモールドの社長と懇意であることから、同社関連の仕事もいくつか手がけている。
- ヘビースモーカー
- 読者からプレゼントされた女性用下着がヤニで黄色くなってしまう[29]ほどのヘビースモーカーであり、多い時は1日で3箱[136][注 4]、締め切り前は100本以上吸うこともある[158]。会社勤めを辞めた後、『週刊少年ジャンプ』の新人賞に応募したのも煙草代が欲しい一心からだったと語っている[159]。その一方、酒は苦手でせいぜいビールをコップ1杯程度だという[136]。
- ウルトラマン
- テレビで見た『ウルトラマン』に深い感銘を受けており、シンプルな初代ウルトラマンだけが好きだと語っている[160]。『Dr.スランプ』にも幾度と無くウルトラマンやバルタン星人などのキャラクターを登場させており、『ウルトラマン』と『Dr.スランプ』によるコラボ商品の公式サイトのインタビューで、当時はルールをよく知らず勢い余って描いたと語っている。また、読み切り作品『騎竜少年』でオチを描いた際にも、脇役キャラクターの台詞で事例としてウルトラマンに言及していた。
- 影響を受けた作品
- 手塚治虫の『鉄腕アトム』に敬意を表明しているほか、ウォルト・ディズニーによる『101匹わんちゃん』のクオリティの高いアニメーションにかなりの感銘を受けたという[161][162]。
- 学生時代、ブルース・リー主演の香港映画『燃えよドラゴン』を観るために1日に3回、10日間ほど映画館に通っていた。多感な頃に観た映画のため影響は大きいという。『ドラゴンボール』のタイトルも『燃えよドラゴン』から来ている[163]。結婚後に妻からジャッキー・チェンの映画を薦められて『酔拳』にもハマり[142][161]、「この2作のどちらかが映画の中で一番ワクワクしたベスト」だと語っている[29]。ジャッキー・チェンの映画を流しながら、漫画を描くこともある(鳥嶋和彦によると「鳥山の妻から聞いた話」として、鳥山本人は何回も観ているためシーンは覚えており、ビデオは真後ろに置いて映像は観ず想像し音声だけ聞きながら漫画を描いている、とのこと)[164]。『ドラゴンボール』連載以前に、カンフー映画好きだと知った当時の担当者の鳥嶋からカンフーの漫画を描くように言われ、鳥山は「好きなものと漫画で描けるものは違うから嫌」と断ったが、勝手にスケジュールを決められて描くことになったという[163]。
- 『ドラゴンボール』の連載にあたって鳥嶋から送ってもらった『未来少年コナン』のビデオ[165]を見て感激し、「ああいう作品を描きたい」と述べている[166]。アニメはあまり見ないが、『未来少年コナン』を見た後は割と積極的に見るようになったといい、『風の谷のナウシカ』、『となりのトトロ』、『銀河鉄道の夜』、『王立宇宙軍 オネアミスの翼』が好きだと語っている[167]。
- 子供たちと一緒に特撮作品の『地球戦隊ファイブマン』や『特警ウインスペクター』[168][169]を見ていたところはまり、『ドラゴンボール』に戦隊ヒーローのパロディであるギニュー特戦隊を登場させた[142][162]。戦う時に変身するという超サイヤ人のアイデアも当時子供と一緒に見ていた特撮テレビ番組からヒントを得ている[61]。
- 他に影響を受けた作品として『ギャラクシー・クエスト』、『エイリアン(1作目)』も挙げている[170]。
- その他
- 愛知県が鳥山明の自宅前から空港までの直通の道路(鳥山ロード)を作ったという話は、『桃太郎電鉄』の製作者さくまあきらが雑誌に書いた嘘記事である[171][172]。
- 『Dr.スランプ』の登場キャラクターである空豆ピースケの趣味はサイン集めだが、これは、鳥山の趣味がそのまま反映されたもの[28]。
- 好きな季節は夏だと語っており、作品の季節感も夏であることが多い。本人いわく「蚊さえいなければ最高」とのこと[173]。
- 女性の髪形ではショートカットが好みで、それは『ドラゴンボール』内では第22回天下一武道会の頃のブルマの髪形に反映されている。
- 『週刊少年ジャンプ』1983年32号の企画でシーラカンスを食べたことがある。
- 歴史・地理方面には疎く、織田信長の死因を知らなかったことを鳥嶋にからかわれたことがある[125]。
- 「生まれも育ちも名古屋。中日ドラゴンズファン」[8]と語っている。『Dr.スランプ』内でもキャラクターたちが中日ドラゴンズを応援する一幕がみられる[174]。
- 『ドラゴンボール』連載10年間で自身が気に入っているイラストは、脚が付いたバイクに悟空と悟飯が乗っているものの1点だけ[127]。絵柄に関しては、終盤の超サイヤ人3が登場したあたりが『ドラゴンボール』という戦闘漫画の中で一番好きだと語っている[175]。
- 自身の作品で一番好きな漫画は『COWA!』[176]。
マスコミへの露出
- 『Dr.スランプ』連載時代は『徹子の部屋』(1983年5月4日放送)に出演したり、NHK特集『わが青春のトキワ荘〜現代マンガ家立志伝〜』(1981年5月25日放送)に荒木飛呂彦とともに登場するなどテレビやラジオ番組には何度か出ており、鳥嶋の指示により『ジャンプ』誌面や『Dr.スランプ』などの単行本にも自身の写真を積極的に載せていた[29]。また、1984年の映画『ゴジラ』にエキストラで参加。本編中では大写しにならなかったが、市販もされた一部ポスターにおける群衆の中に写っている[177]。
- 元々マスコミなどへの露出を好まなかったが『ドラゴンボール』の連載後期には顕著となり[178]、小さな町に在住しているため顔がばれるのが嫌だから[179]という理由で本人の写真が公表、掲載されることはなくなっている[注 5]。スーパーマーケットなどを見て歩くのが好きだというが、新しくオープンしたスーパーマーケットに行った際に売場の女性たちからサイン攻めに遭い、なかなか出ることができなかったことがあり、それ以降はそれまで応じていたインタビューを断るようになり、顔のあからさまな露出も避けるようになった[159]。『ブルードラゴン』のCMにも出演している[180]が、顔出しはしていない。
- 自画像は『Dr.スランプ』連載時は当初は擬人化した鳥だったが[181]、普通の人間の顔やマスク姿など変遷を繰り返し、最終的にガスマスクを着用をしたロボット[182]のデフォルメキャラクターとなった。照れくさいという理由による[136]。
作品リスト
漫画作品
※各作品の詳細などについてはリンク先の各記事を参照。
- デフォルトでの表記は発表順。
- 「種」欄は連載、読切、短編の3種に大別。
- 「収録」欄は収録単行本またはイラスト集を示す。単行本化された作品の詳細は#漫画単行本を参照。
- 収録欄の略称は次の通り※Dr=Dr.スランプ、DB=ドラゴンボール、SL=SAND LAND、○作劇場=鳥山明○作劇場、満漢全席=鳥山明 満漢全席、ヘタッピ=鳥山明のヘタッピマンガ研究所、ジャコ=銀河パトロール ジャコ、カツラアキラ=桂正和×鳥山明共作短編集 カツラアキラ
連載作品 | 読切・短編作品 |
作品名 | 種 | 発行 | 掲載誌 | 収録 | 注記 | |
---|---|---|---|---|---|---|
1970年代 | ||||||
1 | アワワワールド | 読切 | BIRD LAND | BIRD LAND PRESS 1983年5〜6号 | 未収録 | 月例ヤングジャンプ賞(1978年投稿) |
2 | 謎のレインジャック | 読切 | BIRD LAND 集英社 |
BIRD LAND PRESS 1982年3〜4号 週刊少年ジャンプ増刊号1983年12月号 |
未収録 | 月例ヤングジャンプ賞(1978年投稿) |
3 | ワンダー・アイランド | 読切 | 集英社 | 週刊少年ジャンプ 1978年52号 | ○作劇場 | デビュー作品。 |
4 | ワンダー・アイランド2 | 読切 | 集英社 | 少年ジャンプ 1979年1月25日増刊号 | ○作劇場 | |
5 | 本日のハイライ島 | 読切 | 集英社 | 少年ジャンプ 1979年4月20日増刊号 | ○作劇場 | |
6 | ギャル刑事トマト | 読切 | 集英社 | 少年ジャンプ 1979年8月15日増刊号 | ○作劇場 | |
1980年代 | ||||||
7 | Dr.スランプ | 連載 | 集英社 | 週刊少年ジャンプ 1980年5・6合併号 - 1984年39号 | Dr | 全236話。代表作。 様々なメディアミックス化が行われている。 |
8 | POLA&ROID | 読切 | 集英社 | 週刊少年ジャンプ 1981年17号 | ○作劇場 | 愛読者賞1位。 |
9 | ESCAPE | 読切 | 集英社 | 少年ジャンプ 1982年1月10日増刊号 | ○作劇場 | |
10 | MAD MATIC | 読切 | 集英社 | 週刊少年ジャンプ 1982年12号 | ○作劇場 | 愛読者賞2位。 |
11 | 鳥山明のヘタッピマンガ研究所 | 連載 | 集英社 | フレッシュジャンプ 1982年10月号 - 1984年3月号 | ヘタッピ | さくまあきらとの共作[183]。全12話。 |
12 | PINK | 読切 | 集英社 | フレッシュジャンプ 1982年12月号 | ○作劇場 | |
13 | CHOBIT | 読切 | 集英社 | 週刊少年ジャンプ 1983年10号 | ○作劇場 | 愛読者賞3位。 |
14 | CHOBIT2 | 読切 | 集英社 | フレッシュジャンプ 1983年6月号 | ○作劇場 | |
15 | 騎竜少年 其之壱 | 読切 | 集英社 | フレッシュジャンプ 1983年8月号 | ○作劇場 | |
16 | 騎竜少年 其之弐 | 読切 | 集英社 | フレッシュジャンプ 1983年10月号 | ○作劇場 | |
17 | トンプー大冒険 | 読切 | 集英社 | 週刊少年ジャンプ 1983年52号 | ○作劇場 | |
18 | ドラゴンボール | 連載 | 集英社 | 週刊少年ジャンプ 1984年51号 - 1995年25号 | DB | 全519話。代表作。 様々なメディアミックス化が行われている。 |
19 | Mr.ホー | 読切 | 集英社 | 週刊少年ジャンプ 1986年49号 | ○作劇場 | |
20 | LADY RED | 読切 | 集英社 | スーパージャンプ 創刊2号 週刊少年ジャンプ 1987年4月10日増刊号 |
満漢全席 | |
21 | 剣之介さま | 読切 | 集英社 | 週刊少年ジャンプ 1987年38号 | ○作劇場 | アニメ映画化がされている。 |
22 | SONCHOH | 読切 | 集英社 | 週刊少年ジャンプ 1988年5号 | ○作劇場 | |
23 | 豆次郎くん | 読切 | 集英社 | 週刊少年ジャンプ 1988年38号 | ○作劇場 | |
24 | ROCKY | 読切 | 猫十字社 | 動じん誌 1989年 | 未収録 | |
25 | 空丸くん日本晴れ | 読切 | 集英社 | 週刊少年ジャンプ 1989年13号 | ○作劇場 | |
1990年代 | ||||||
26 | WOLF | 読切 | 集英社 | 鳥山明 the world 1990年 | the world | |
27 | 貯金戦士キャッシュマン 第1話 | 短編 | 集英社 | ブイジャンプ 創刊 1990年12/12号 | ○作劇場 | 全3話。アニメ化がされている。 |
28 | 貯金戦士キャッシュマン 第2話 | 短編 | 集英社 | ブイジャンプ 1991年6/26号 | ○作劇場 | |
29 | 貯金戦士キャッシュマン 第3話 | 短編 | 集英社 | ブイジャンプ 1991年11/27号 | ○作劇場 | |
30 | TRUNKS THE STORY -たったひとりの戦士- |
読切 | 集英社 | 週刊少年ジャンプ 1992年36・37合併号 | DB | テレビスペシャル化されている。 |
31 | DUB&PETER1 第1話 | 短編 | 集英社 | Vジャンプ 1992年11月12日号 | ○作劇場 | 全4話。 |
32 | DUB&PETER1 第2話 | 短編 | 集英社 | Vジャンプ 1992年12月30日号 | ○作劇場 | |
33 | DUB&PETER1 第3話 | 短編 | 集英社 | Vジャンプ 1993年2月21日号 | ○作劇場 | |
34 | DUB&PETER1 第4話 | 短編 | 集英社 | Vジャンプ 1993年4月4日号 | ○作劇場 | |
35 | GO!GO!ACKMAN | 連載 | 集英社 | Vジャンプ 1993年7月号 - 1994年10月号 | ○作劇場 | 全11話。 様々なメディアミックス化が行われている。 |
36 | 宇宙人ペケ 第1話 | 短編 | 集英社 | 週刊少年ジャンプ 1996年37・38合併号 | 満漢全席 | 全2話。 |
37 | 宇宙人ペケ 第2話 | 短編 | 集英社 | 週刊少年ジャンプ 1996年39号 | 満漢全席 | |
38 | TOKIMECHA 第1話 | 短編 | 集英社 | 週刊少年ジャンプ 1997年3・4合併号 | 未収録 | 全3話。 |
39 | TOKIMECHA 第2話 | 短編 | 集英社 | 週刊少年ジャンプ 1997年5・6合併号 | 未収録 | |
40 | TOKIMECHA 第3話 | 短編 | 集英社 | 週刊少年ジャンプ 1997年7号 | 未収録 | |
41 | 魔人村のBUBUL | 読切 | 集英社 | 週刊少年ジャンプ 1997年22・23合併号 | 未収録 | |
42 | COWA! | 連載 | 集英社 | 週刊少年ジャンプ 1997年48号 - 1998年15号 | COWA! | 全14話。短期集中連載。 |
43 | カジカ | 連載 | 集英社 | 週刊少年ジャンプ 1998年32号 - 44号 | カジカ | 全12話。短期集中連載。 |
44 | ハイギョのマヒマヒ | 読切 | 集英社 | 週刊少年ジャンプ 1999年4・5合併号 | 未収録 | |
45 | ネコマジンがいる | 短編 | 集英社 | 週刊少年ジャンプ 1999年22・23合併号 | ネコマジン | 全2話。 |
46 | ネコマジンがいる2 | 短編 | 集英社 | 週刊少年ジャンプ 1999年37・38合併号 | ネコマジン | |
2000年代 | ||||||
47 | ヒョータム | 読切 | 集英社 | e-ジャンプ 2000年1月18日増刊 | 未収録 | |
48 | SAND LAND | 連載 | 集英社 | 週刊少年ジャンプ 2000年23号 - 36・37合併号 | SL | 全14話。短期集中連載。 様々なメディアミックス化が行われている。 |
49 | ネコマジンZ | 短編 | 集英社 | 月刊少年ジャンプ 2001年6月号 | ネコマジン | 全5話。 |
50 | ネコマジンZ2 | 短編 | 集英社 | 月刊少年ジャンプ 2003年9月号 | ネコマジン | |
51 | ネコマジンZ3 | 短編 | 集英社 | 月刊少年ジャンプ 2004年3月号 | ネコマジン | |
52 | ネコマジンZ4 | 短編 | 集英社 | 月刊少年ジャンプ 2005年1月号 | ネコマジン | |
53 | ネコマジンZ5 | 短編 | 集英社 | 月刊少年ジャンプ 2005年2月号 | ネコマジン | |
54 | ネコマジンみけ | 短編 | 集英社 | 週刊少年ジャンプ 2003年37・38合併号 | ネコマジン | 全1話。 |
55 | こちらナメック星ドラゴン公園前 | 読切 | 集英社 | 雑誌未掲載 | 超こち亀 | 秋本治との合作。 |
56 | CROSS EPOCH | 読切 | 集英社 | 週刊少年ジャンプ 2007年4・5合併号 | 未収録 | 尾田栄一郎との合作。 |
57 | Dr.MASHIRITO ABALEちゃん | 読切 | 集英社 | 月刊少年ジャンプ 2007年4月号 | 未収録 | |
58 | さちえちゃんグー!! | 短編 | 集英社 | ジャンプスクエア 2008年5月号 | カツラアキラ | 原作担当で作画は桂正和。 銀河パトロールシリーズ[184][注 6] |
59 | おいしい島のウーさま | 読切 | 田園社会プロジェクト | 2030マガジン『最終戦略 バイオスフィア』[注 7] | 未収録 | 2009年5月初版発行。 |
2010年代 | ||||||
60 | JIYA -ジヤ- | 短編 | 集英社 | 週刊ヤングジャンプ 2010年2・3合併号 | カツラアキラ | 原作担当で作画は桂正和。全3話。 |
61 | JIYA -ジヤ-2 | 短編 | 集英社 | 週刊ヤングジャンプ 2010年4・5合併号 | カツラアキラ | |
62 | JIYA -ジヤ-3 | 短編 | 集英社 | 週刊ヤングジャンプ 2010年6号 | カツラアキラ | |
63 | KINTOKI-金目族のトキ- | 読切 | 集英社 | 週刊少年ジャンプ 2010年50号 | 未収録 | |
64 | 銀河パトロール ジャコ | 連載 | 集英社 | 週刊少年ジャンプ 2013年33号 - 44号 | ジャコ | 全11話。短期集中連載。 |
65 | DRAGON BALL- 放たれた運命の子供 | 読切 | 集英社 | 雑誌未掲載 | ジャコ | 描き下ろしおまけ漫画。 |
書籍
漫画単行本
- 2024年(令和6年)3月現在。
- 作品名が同じ物は【 】内の注記で区分をつけている。
- デフォルトでの表記は作品毎にまとめて初巻の発行順とし、短編集については最後に記載する。
- 以下で紹介された書物以外にも作品によって【愛蔵版】や【コンビニ本】などがあるが、それらの書誌情報の詳細などについてはリンク先の各記事を参照。
連載作品 | 再出版 | 短編集 |
作品名 | 発行 | レーベル | 判 | 発行年 | 巻 | 注記 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | Dr.スランプ | 集英社 | ジャンプ・コミックス | 新書 | 1980年 - 1985年 | 18 | |
2 | Dr.スランプ【文庫版】 | 集英社 | 集英社文庫コミック版 | 文庫 | 1995年 - 1996年 | 9 | 文庫での再出版。 |
3 | Dr.スランプ【完全版】 | 集英社 | ジャンプ・コミックス | A5 | 2006年 - 2007年 | 15 | ワイド版での再出版。 |
4 | ドラゴンボール | 集英社 | ジャンプ・コミックス | 新書 | 1985年 - 1995年 | 42 | 2009年の重版分からカバーが一新。 |
5 | ドラゴンボール【完全版】 | 集英社 | ジャンプ・コミックス | A5 | 2002年 - 2004年 | 34 | ワイド版での再出版。 |
6 | ドラゴンボール【フルカラー版】 | 集英社 | ジャンプ・コミックス | B6 | 2013年 - 2016年 | 32 | フルカラーでの再出版。 |
7 | COWA! | 集英社 | ジャンプ・コミックス | 新書 | 1998年 | 1 | |
8 | カジカ | 集英社 | ジャンプ・コミックス | 新書 | 1999年 | 1 | |
9 | SAND LAND | 集英社 | ジャンプ・コミックス | 新書 | 2000年 | 1 | |
10 | SAND LAND【完全版】 | 集英社 | ジャンプ・コミックス | A5 | 2023年 | 1 | ワイド版での再出版。 |
11 | 銀河パトロール ジャコ | 集英社 | ジャンプ・コミックス | 新書 | 2014年 | 1 | 限定特装版あり。 |
12 | ネコマジン【完全版】 | 集英社 | ジャンプ・コミックス | A5 | 2005年 | 1 | ワイド版での出版。 |
13 | 鳥山明のヘタッピマンガ研究所 | 集英社 | ジャンプ・コミックス | 新書 | 1985年 | 1 | さくまあきらとの共作。 |
14 | 鳥山明○作劇場 | 集英社 | ジャンプ・コミックス | 新書 | 1983年 - 1997年 | 3 | 短編集。 |
15 | 鳥山明 満漢全席【文庫版】 | 集英社 | 集英社文庫コミック版 | 文庫 | 2008年 | 2 | 短編2話追加収録し、文庫での再出版。 |
16 | 桂正和×鳥山明共作短編集 カツラアキラ | 集英社 | ジャンプ・コミックス | 新書 | 2014年 | 1 | 桂正和との共作。 |
イラスト集
- 鳥山明 the world(1990年1月10日発売、集英社、ISBN 4-08-858130-X)
- 鳥山明 THE WORLD SPECIAL(1990年9月19日発売、集英社、ISBN 4-08-782404-7)
- 鳥山明の世界 AKIRA TORIYAMA EXHIBITION(1993年、1995年増補版発行〈全2種〉、「鳥山明の世界」展実行委員会)
- ドラゴンボール大全集 1巻 COMPLETE ILLUSTRATIONS(1995年6月25日発行、集英社)
- ドラゴンクエストモンスターズ 鳥山明イラストレーションズ[注 8](1996年12月1日発売、集英社)
- ドラゴンクエスト25thアニバーサリー モンスター大図鑑[注 9](2012年5月31日発売、スクウェア・エニックス、ISBN 978-4-75-753583-1)
- ドラゴンボール超画集(2013年5月9日発売、集英社、ISBN 978-4-08-782520-6)
- 鳥山明 ドラゴンクエスト イラストレーションズ(2016年5月27日発売、集英社、ISBN 978-4-08-792508-1)
絵本
- TOCCIO THE ANGEL てんしのトッチオ(2003年1月24日発売、集英社)
関連書籍
- 鳥山明 THE WORLD アニメ・スペシャル(1990年10月10日発行、集英社)
- AKIRA TORIYAMA LE MAITRE DU MANGA(2011年11月3日発売、12 bis、ISBN 978-2-35648-332-4)※フランスのみで発売
- DVD付分冊マンガ講座 ジャンプ流 vol.1 まるごと鳥山明(2016年1月7日���売、集英社)
デザインリスト
ドラゴンボールシリーズ
- テレビアニメ
- ドラゴンボール
- ドラゴンボールZ(一部のアニメオリジナルキャラクターをデザイン)
- ドラゴンボールZ たったひとりの最終決戦〜フリーザに挑んだZ戦士 孫悟空の父〜(メインキャラクター)
- ドラゴンボールGT(タイトルロゴ、メインキャラクターなどのデザイン)
- ドラゴンボール超(2015年 - 2018年)原案、キャラクター原案
- ドラゴンボールDAIMA(2024年)原作、ストーリー、キャラクターデザイン[185]
- 映画
- ドラゴンボール 神龍の伝説(グルメス、ボンゴ、パスタ、パンジ、兵士、召し使いロボット)
- ドラゴンボールZ この世で一番強いヤツ(Dr.ウィロー)
- ドラゴンボールZ 地球まるごと超決戦(神精樹)
- ドラゴンボールZ 超サイヤ人だ孫悟空(スラッグ)
- ドラゴンボールZ とびっきりの最強対最強(クウラ、クウラ最終形態、サウザー、ドーレ、ネイズ)
- ドラゴンボールZ 極限バトル!!三大超サイヤ人(人造人間13号、人造人間14号、人造人間15号、合体13号)
- ドラゴンボールZ 燃えつきろ!!熱戦・烈戦・超激戦(ブロリー、超サイヤ人ブロリー)
- ドラゴンボールZ 銀河ギリギリ!!ぶっちぎりの凄い奴(ボージャック、ゴクア、ザンギャ、ビドー、ブージン)
- ドラゴンボールZ 龍拳爆発!!悟空がやらねば誰がやる(タピオン、ミノシア)
- ドラゴンボール 最強への道(メインキャラクター)
- ドラゴンボールZ 神と神(2013年)ストーリー[注 10]、キャラクターデザイン
- ドラゴンボールZ 復活の「F」(2015年)脚本、キャラクターデザイン
- ドラゴンボール超 ブロリー(2018年)脚本、キャラクターデザイン
- ドラゴンボール超 スーパーヒーロー(2022年)脚本、キャラクターデザイン
- ゲーム
- ドラゴンボール 神龍の謎(敵キャラクターのクリリアン、アシュラロボ、M・B軍将軍[186])
- ドラゴンボールZ (アーケードゲーム)(筐体デザイン[187])
- ドラゴンボールZ V.R.V.S.(魔人オゾット[187])
- PS2版超ドラゴンボールZ(メカフリーザデザイン監修)
- ドラゴンボールオンライン(全面監修[188][189]、一部のキャラクターデザイン[189][190]。その他のデザインは幹大樹などが担当[191][192])
- ドラゴンボールヒーローズ(フリーザ一族アバター[注 11][193])
- ドラゴンボール ゼノバース(キャラクターデザイン監修[189])
- ドラゴンボール ファイターズ(人造人間21号デザイン監修[194][195])
- ドラゴンボール レジェンズ(シャロット、ザッハ、フードの男[196][197])
- ドラゴンボールZ KAKAROT(ボニュー[198])
ドラゴンクエストシリーズ
- メインシリーズ
- ドラゴンクエスト
- ドラゴンクエストII 悪霊の神々
- ドラゴンクエストIII そして伝説へ…
- ドラゴンクエストIV 導かれし者たち
- ドラゴンクエストV 天空の花嫁(メインキャラクターデザインは主人公、パパス、ビアンカのみ)
- ドラゴンクエストVI 幻の大地(一部のモンスターは中鶴勝祥が担当)
- ドラゴンクエストVII エデンの戦士たち(一部のメインキャラクター、モンスター担当。その他のモンスターは中鶴勝祥とかねこ統が担当)
- ドラゴンクエストVIII 空と海と大地と呪われし姫君
- ドラゴンクエストIX 星空の守り人(一部のメインキャラクター、ボスモンスター、職業イラスト担当。その他のデザインは中津英一朗、松本敏章が担当)
- ドラゴンクエストX 目覚めし五つの種族 オンライン(Ver.1からVer.5までのパッケージイラスト、一部のメインキャラクター、ボスモンスター担当。Ver.6のパッケージイラスト、その他のデザインは中津英一朗などが担当)
- ドラゴンクエストXI 過ぎ去りし時を求めて(一部のメインキャラクター、ボスモンスター担当。その他のデザインは中津英一朗などが担当)
- トルネコの大冒険 不思議のダンジョンシリーズ
- トルネコの大冒険 不思議のダンジョン(パッケージイラスト)
- ドラゴンクエストキャラクターズ トルネコの大冒険2 不思議のダンジョン(パッケージイラスト担当。その他のイラストは中鶴勝祥が担当)
- ドラゴンクエストキャラクターズ トルネコの大冒険3 不思議のダンジョン(パッケージイラスト担当。その他のイラストは中鶴勝祥が担当)
- ドラゴンクエストモンスターズシリーズ
- ドラゴンクエストモンスターズ テリーのワンダーランド(パッケージイラスト、わたぼう)
- ドラゴンクエストモンスターズ テリーのワンダーランド3D(パッケージイラスト[199])
- ドラゴンクエストモンスターズ2 マルタのふしぎな鍵(パッケージイラスト)
- ドラゴンクエストモンスターズ1・2 星降りの勇者と牧場の仲間たち(パッケージイラスト)
- ドラゴンクエストモンスターズ2 イルとルカの不思議なふしぎな鍵(パッケージイラスト[200])
- ドラゴンクエストモンスターズ3 魔族の王子とエルフの旅(パッケージイラスト[201])
- ドラゴンクエストモンスターズ キャラバンハート(パッケージイラスト)
- ドラゴンクエストモンスターズ ジョーカー(パッケージイラスト、主人公、神獣)
- ドラゴンクエストモンスターズ ジョーカー2(パッケージイラスト[202])
- ドラゴンクエストモンスターズ ジョーカー2 プロフェッショナル(パッケージイラスト)
- ドラゴンクエストモンスターズ ジョーカー3(パッケージイラスト[203]、主人公、謎の少女)
- スライムもりもりドラゴンクエストシリーズ
- スライムもりもりドラゴンクエスト 衝撃のしっぽ団(パッケージイラスト)
- スライムもりもりドラゴンクエスト2 大戦車としっぽ団(パッケージイラスト)
- スライムもりもりドラゴンクエスト3 大海賊としっぽ団(パッケージイラスト[204])
- 剣神ドラゴンクエスト 甦りし伝説の剣(パッケージイラスト)
- ドラゴンクエスト 少年ヤンガスと不思議のダンジョン(パッケージイラスト)
- ドラゴンクエストソード 仮面の女王と鏡の塔(パッケージイラスト、主人公、ディーン、セティア、ヒルダ)
- ドラゴンクエスト モンスターバトルロードシリーズ
- ドラゴンクエスト モンスターバトルロード(I、II、III主人公描き下ろしイラスト、ロトSPカード描き下ろしイラスト)
- ドラゴンクエスト モンスターバトルロードII(IV、V、VI主人公描き下ろしイラスト)
- ドラゴンクエスト モンスターバトルロードIIレジェンド(既存のキャラクターのみ)
- ドラゴンクエスト モンスターバトルロードビクトリー(既存のキャラクターのみ)
- ドラゴンクエスト モンスターバトルスキャナー(既存のキャラクターのみ)
- 戦え! ドラゴンクエスト スキャンバトラーズ(既存のキャラクターのみ)
- ドラゴンクエストヒーローズシリーズ
- ドラゴンクエストヒーローズ 闇竜と世界樹の城(アクト、メーア、ディルク、ジュリエッタ[205]、ヘルムード)
- ドラゴンクエストヒーローズII 双子の王と予言の終わり(ラゼル、テレシア、ツェザール、オルネーゼ[206]、ゼビオン王)
- ドラゴンクエストビルダーズシリーズ
- ドラゴンクエストビルダーズ アレフガルドを復活せよ(パッケージイラスト、主人公)
- ドラゴンクエストビルダーズ2 破壊神シドーとからっぽの島(パッケージイラスト[207]、主人公、少年シドー、昆虫型乗り物)
- ドラゴンクエスト トレジャーズ 蒼き瞳と大空の羅針盤(メインキャラクター[208])
- アニメ
- ドラゴンクエスト(1989年 - 1991年)メインキャラクターデザイン
ブルードラゴンシリーズ
- ゲーム
- カードゲーム
- アニメ
ジャンプ関連
- ゲーム
- ファミコンジャンプ 英雄列伝(ギャオくん)
- ファミコンジャンプII 最強の7人(敵キャラクターのいっかくねこ、ダークレイド、ゼドー)
- ジャンプアルティメットスターズ(Dr.マシリトとキャラメルマンJ)
- ジャンプフォース(グラパー、ナビゲーター、ガレナ、カイン[209]、プロメテウス[210])
- アニメ
- 小助さま力丸さま -コンペイ島の竜-(1988年)初の描き下ろしオリジナルアニメ。芦田豊雄と共に脚本も担当。
- ドクタースランプ(1997年 - 1999年)監修[211]、キャラクター原案[70]
- ドクタースランプ アラレのびっくりバーン(1999年)デザイン[212]
- SAND LAND(2023年)復活したスライムのデザイン、ラストバトルの追加脚本[213]
- SAND LAND: THE SERIES(2024年)天使ムニエルの設定とデザイン、アンなどのデザイン、エピソードなど提案[214]
その他のゲーム・アニメ
- ゲーム
- クロノ・トリガー(メインキャラクター、シルバードデザイン)
- 空想科学世界ガリバーボーイ(メカデザイン〈レディ・ビー、シーライオン〉)
- 桃太郎電鉄シリーズ(メカボンビーRX)
- トバルNo.1
- トバル2
- 超速変形ジャイロゼッター(BEEMAN)
- アニメーション
- 劇場版クラッシャージョウ(1983年)宇宙ステーションMAX310のデザイン
- 空想科学世界ガリバーボーイ(1995年)一部メカデザイン
- 超速変形ジャイロゼッター(2013年)スペシャルジャイロゼッターデザイン
カーデザイン
キャラクターデザイン
- アパッチ(時期不明)
- 岐阜県恵那市のジーンズショップ「アパッチ」(現在は閉店)のロゴイラスト[215][216]。経営者は知人で、看板が現存しているほか、死去した経営者の墓石にもイラストが刻まれている[216]。
- コアラ舎シンボルマーク(1984年)
- 名古屋市東山動植物園にある、コアラ舎のコアラのシンボルマーク[217][218]。
- LISA(リーザ)(1985年)
- デザイン、パッケージイラスト、説明書のイラストを担当[219]。
- アップルポップ(1988年 - 1992年)
- 『ひらけ!ポンキッキ』内の人形劇コーナードラマ。キャラクターデザイン、美術デザイン[220]。
- ギャオくん(1989年)
- 『週刊少年ジャンプ』創刊20周年記念キャラクター。
- V龍(ブイロン)
- 『ブイジャンプ』イメージキャラクター[注 12]。以下の4作品にも登場している。バトルブレイク、およびラッキードラゴン、トリヤマロボ[221][注 13][注 14]、)、ドラゴンクエストX、ガイストクラッシャー、モンスターストライク
- ガラクタじじい、小悪魔(1991年)
- 『F1イギリスGP』番組内に放映された『週刊少年ジャンプ』のCMに登場したキャラクター。
- 五式犬(1991年)
- ファインモールドマスコットキャラクター
- ジッポライター[222]、Tシャツ、エコバッグ、エプロン[223]、缶バッジ[224]、名刺入れ、灰皿[225]、プラモデル[226]、「ワールドファイタープレーン ピンバッジコレクション」全3種[227]などグッズ化されている。
- スーパーセンス ストーリー(1991年)
- ホンダの交通安全啓発用パンフレットのキャラクターデザイン。作画は東映動画(現・東映アニメーション)が担当。
- レディ・ビー(1992年)
- 『Vジャンプ』1992年11月22日号のカバー原画としてデザインされた飛行艇。三面図も描き起こし、それを基にバンプレストのスタジオ・デュースによりCGイラストが作られた。
- ファインモールド(1994年)
- 「ワールドファイターコレクション」シリーズ全7種[228]デザイン、パッケージイラスト、説明書のイラストを担当。世界各国の陸軍兵士をリアルに再現した上でコミカルにデフォルメしたプラモデルフィギュア[注 15]。
- リードン(2002年)
- 集英社文庫25周年企画「伝説の読書竜リードン」栞に使われているイラスト。
- ジャンタ(2005年)
- ジャンプショップオリジナルキャラクター。
- KAIZOくん(2009年)
- ジャンプフェスタのオリジナルキャラクター[229]。
- 日本マンガ塾オリジナルキャラクター
- マイ、ホンボット(2016年)
- アプリ『Myジャンプ』オリジナルキャラクター。
- 愛知県清須市 市制20周年ロゴ(2024年)[230]
イラスト・挿絵
- さくまあきら『燃えよ!フトリッパー』(1982年)シングルレコードジャケットのイラスト
- 高千穂遥『だからバイク大好き!』(1983年)カバーイラスト
- ファーブル昆虫記全6巻(1996年)奥本大三郎編訳による集英社文庫の表紙および扉絵を担当
- ビッチズ・ライフ・イラストレーション・ファイル[231](2001年、グラフィック社)
- 『月刊アーマーモデリング』2009年1月号表紙描き下ろしイラスト(コミカライズされた日本陸軍九七式中戦車チハと日本兵たち)、2010年11月号表紙描き下ろしイラスト
- 浜崎あゆみ『Rule/Sparkle』(2009年2月25日発売、avex trax)初回盤ピクチャーレーベルのイラスト(映画『DRAGONBALL EVOLUTION』主題歌)
- jealkb『Invade』(2011年)通常版、初回版A、初回版Bジャケットイラスト(3つ共同じイラストだが着色が異なる)
- 『西遊記〜はじまりのはじまり〜』(2014年)広告用イラスト
- 清州町観光協会設立15周年記念事業『交響曲信長』ジャケットイラスト
- 鳥嶋和彦、霜月たかなか『Dr.マシリト 最強漫画術』(2023年7月21日発売、集英社)カバーイラストレーション、Dr.マシリトイラスト、あのころのトリシマとトリヤマ
作詞
- 「んちゃんちゃソング」(1981年)『Dr.スランプ アラレちゃん』挿入歌
- 「クリラ」「ヘリコプター」(1984年)小山茉美のアルバム『ポルカドットマジック』に収録。ジャケットイラストも担当。
寄稿
- 『いしかわじゅん』単行本 特別寄稿(1986年)いしかわじゅん著・双葉社刊行『僕達のサヨナラ・感電タウン』にイラストを寄稿。
- 『こちら葛飾区亀有公園前派出所』特別寄稿(1993年)『Kamedas』にイラストを寄稿。
- 『さくらももこ』と往復書簡でのコラボ作品(1995年)『さくらももこの総天然色満足館』にイラストを寄稿。
- 『「ミッキー」&「ミニー」生誕70周年記念フェスティバル』展示用イラスト(1998年)当時の『ディズニーファン』にイラストを掲載。
- 『こちら葛飾区亀有公園前派出所』連載25周年紀念 特別寄稿(2001年)『Kamedas2』にイラストを寄稿。
- 『ONE PIECE』連載10周年紀念 特別寄稿(2007年)『ONE PIECE 10th Treasures』2007年 9/10号にイラストを寄稿。
- 『NARUTO -ナルト-』連載10周年紀念 特別寄稿(2009年)『NARUTO秘伝・皆の書』オフィシャルプレミアムファンBOOKにイラストを2枚寄稿。
- 『桂正和』画業30周年紀念 特別寄稿(2011年)『桂正和 画業30周年記念本「桂大全」』にイラストを2枚寄稿[232]。
- 『浅田弘幸』画業25周年紀念 特別寄稿(2012年)『テガミバチ』14巻小冊子付き特装版にイラストを寄稿[233]。
- 『ジョジョの奇妙な冒険』連載25周年紀念 特別寄稿(2012年)『ウルトラジャンプ』2012年10月号付録の冊子「25YEARS WITH JOJO」にイラストを寄稿[234]。
- ジャイアント・ジャガ・イモムシ、ベビークラーケン(2014年)『トリコ』公式ファンブック 29.5巻に寄稿されたキャラクター[235]。
- 『NARUTO -ナルト-』展 特別寄稿(2015年)NARUTO展の前売特典『新伝・雷の書』にイラストを寄稿。
- 『こちら葛飾区亀有公園前派出所』連載40周年紀念 特別寄稿(2016年)『週刊少年ジャンプ』2016年7号にイラストを寄稿[236]。同イラストが『週刊少年ジャンプ増刊・こち亀ジャンプ』にも掲載。
- 『銀魂』展 展示用イラスト(2016年)銀魂展『連載完結寸前 大銀魂展〜ツケが回る前にケツを拭け〜』のパンフレットにもイラストを掲載[237]。
- 『To LOVEる -とらぶる-』シリーズ10周年紀念 特別寄稿(2017年)『To LOVEる-とらぶる-シリーズ10周年アニバーサリーブック とらぶるくろにくる』にイラストを寄稿[238]。
- 『青の祓魔師』10周年紀念 特別寄稿(2020年)『AOEX10』にイラストを寄稿[239]。
- 『北斗の拳』40周年大原画展 特別寄稿(2023年)『北斗の拳40周年大原画展 〜愛をとりもどせ!!〜 公式図録』にもイラストを掲載[240]。
その他
- 激突!4コマ競作バトルロイヤル(1986年)『スーパージャンプ』創刊号に4コマ漫画を2本掲載。
- BATTLEMAN F-1西ドイツホッケンハイムGP観戦記レポート漫画(1990年)『週刊少年ジャンプ』1990年44号および週刊少年ジャンプ特別編集『F-1 GRAND PRIX 1990』に掲載。また、1990年の『週刊少年ジャンプ』のコーナー「週刊少年ジャンプF-1CLUB」に漫画『BATTLEMANのすごいぞ!F.1』を複数回掲載している。
- モンモンの相撲遊戯(『週刊少年ジャンプ』1992年3・4合併号)つの丸の読み切り漫画。他連載作家と共に協力。
- 『月刊アーマーモデリング』2009年1月号模型作例「1/35四式軽戦車」製作および記事執筆(模型の車体はファインモールド製、砲塔はタミヤ製)
- ちかごろのワシ(1995年 - 1996年)全7回。『ドラゴンボール大全集』別冊付録『神龍通信』全7号に描き下ろし漫画を掲載。
- さいきんのわし(2014年)『最強ジャンプ』2014年7月号に描き下ろし4コマ漫画を掲載。
- ドラゴンボール30周年スペシャル裏マンガ(2016年)『30th ANNIVERSARY ドラゴンボール 超史集』に描き下ろし漫画を掲載。
出演歴
テレビ
ラジオ
- ミッドナイト東海[注 16](東海ラジオ放送、1980年頃)
- 島田紳助のおっと危ない!東京ばくだん小僧のコーナー「アタック北斗の拳」あたた耐久レース(ニッポン放送、1985年)電話出演
映画
- ゴジラ(エキストラ役、1984年12月15日公開)
声優
- BLUE DRAGON(トリッポ)
個展開催歴
- 鳥山明の世界
開催期間 | 開催場所 |
---|---|
1993年12月4日 - 1994年1月30日 | 神奈川県・川崎市市民ミュージアム |
1994年4月9日 - 5月29日 | 福島県・いわき市立美術館 |
1994年8月5日 - 9月4日[242] | 香川県・高松市美術館 |
1994年10月22日 - 11月27日 | 北海道・北海道立旭川美術館 |
1994年12月22日 - 1995年1月29日 | 福岡県・ラフォーレミュージアム小倉 |
1995年4月22日 - 5月21日 | 東京都・新宿��越美術館 |
1995年6月6日 - 7月2日 | 愛知県・名古屋市民ギャラリー |
1995年7月20日 - 8月27日 | 熊本県・熊本県立美術館 |
1995年7月20日 - 8月27日 | 東京都・国立西洋美術館 |
1995年9月14日 - 9月25日[注 17] | 兵庫県・神戸阪急ミュージアム |
1997年7月27日 - 8月24日[243] | 秋田県・増田町まんが美術館 |
- 鳥山明 The World of DRAGONBALL[244]
開催期間 | 開催場所 |
---|---|
2013年3月27日 - 4月15日 | 東京都・日本橋高島屋 |
2013年4月17日 - 4月23日 | 大阪府・阪神百貨店梅田本店 |
2013年7月27日 - 9月1日 | 愛知県・松坂屋美術館 |
関連人物
- 漫画家
- 桂正和
- 鳥山同様に鳥嶋和彦によって才能を見出された一人。鳥山が「恋愛モノ」を苦手にしているのと対照的に桂は「恋愛モノ」を得意にしており、その道の第一人者。鳥山とはデビュー前に手塚賞準入選の時の授賞式で会って以来交流があり[245]、『ウイングマン』の作中に「生徒会トリヤマ」や「Mr.マヤリト」として鳥山が登場している。逆に『Dr.スランプ』には、非常な田舎者として桂が登場しており、番外の短編漫画でエピソードが語られている。また、悟空が界王を笑わせるために使ったギャグは、鳥山が桂に披露したもののバカにされたといわれるものであり、フュージョンのアイディアも桂による、と述べている[246]。1984年に桂が病気療養のため約5か月間『ウイングマン』の連載を中断した際、週1ページの応援作品「がんばれ!桂くん」が連載されたが、鳥山は、タイトルとタイトルバックの似顔絵(病室で寝巻き姿の桂が、元気にウイングマンの変身ポーズを決めている)を寄稿している。『ウイングマン』連載以降に電話で話すようになり、鳥山が『ドラゴンボール』、桂が『電影少女』を連載していた頃は、仕事からの逃避でお互い締め切り直前に長電話をよくしていた[245]。『D・N・A² 〜何処かで失くしたあいつのアイツ〜』連載前に鳥山に相談したところ「主人公を変身させて髪の色を変えてみてはどうか」「戦わせるしかない」と言われ、不安を抱きつつ描いたら鳥山のファンから「(超サイヤ人の)マネをするな」と抗議が来たという[247]。
- 桂、寺田克也、竹谷隆之の3名について鳥山いわく「自分からは滅多に誰かに会おうとはしないが、この3人の天才に会うのは悪くない」とのことである[248]。桂とは2008年に『さちえちゃんグー!!』(読切)、2009年には『JIYA -ジヤ-』(短期連載)で共作(原作を鳥山、作画を桂が担当)しており、鳥山は「組むんだったら桂君しかありえない。文句を言ってくれる人は彼くらい」と語っている[245]。
- 尾田栄一郎
- 1995年の集英社主催のパーティーで徳弘正也に同行し(当時、アシスタントをしていた)、鳥山からイラスト入りのサインを貰ったのが初対面。その後、尾田の希望で鳥山と対談して以降、さまざまな場で交流している。『天才パソコミ塾』(2002年 集英社インターナショナル)でMacを使った漫画の描き方で共演したり、2006年12月には『ONE PIECE』と『ドラゴンボール』のコラボレーション漫画『CROSS EPOCH』(『週刊少年ジャンプ』2007年4・5合併号、2006年12月25日発売)を発表した。
- 岸本斉史
- 岸本は『NARUTO』の連載が3周年を迎えたらご褒美として、鳥山のサイン色紙を貰うという約束を編集部と���り付けており、実際にサインを手に入れた際には、その喜びを『ジャンプ』の巻末コメントで語っていた。また、ナルトの連載10周年を記念して発売された『NARUTO-ナルト-秘伝・皆の書』では、鳥山がナルトのイラストや、ナルトの格好をした悟空を描いている。
- 棚園正一
- 清須市出身の漫画家。母親と鳥山明が清須市内の小学校の同級生[249][250]であったこともあり、不登校だった13歳の時に自立支援組織から来ていた家庭教師の協力で、鳥山明と対面した[251]。棚園は、その実体験を基にした漫画『学校へ行けない僕と9人の先生』を連載。同作品コミックス(2015年2月27日発売)に鳥山明寄稿による1600字超のコメントが収録されている。また鳥山と棚園は「作品をより面白い漫画にするためには」といった話し合いを年5回程度のペースで続けている[252]。
- とよたろう
- 『ドラゴンボール超』の漫画版を『Vジャンプ』にて、2015年より連載中。2016年に鳥山との対談で、鳥山は「とよたろうさんのネームは安心して見られる。このままでも大満足だが、いろんなアングルから見る構図を多用できれば、より完璧になる」とアドバイスしており[253]、2017年の対談では、「以前は僕の『ドラゴンボール』を追いかけている印象だったが、最近は作画に自分のカラーが出てきて、確実に良くなっている」と評価している[254]。
- ゆでたまご
- 鳥山が「Dr.スランプ」を執筆した同時期に週刊少年ジャンプで「キン肉マン」を執筆。共にジャンプ黄金期を代表する漫画家として活動していた。同期なのもあり連載当初は交流があったが、人気至上主義の漫画誌業界においてお互い人気が出てからは交流が少なくなり、2人の作品がテレビアニメ化になるまでの人気になった時には疎遠になった。それでもお互いジャンプ黄金期を支えた戦友として評価もしており、鳥山の訃報に対してあまりにも突然で早い死だと悼んだ[注 18]。
- ゲーム関係
- 堀井雄二
- 『ドラゴンクエストシリーズ』の生みの親。鳥山とは『ドラゴンクエスト』第1作目から共に制作に携わっている。
- さくまあきら
- 友人[255]。『セブンティーン』において鳥山と笑福亭鶴瓶の対談をさくまがセットしたのが初対面[125]。『Dr.スランプ』には「たこやきマクサ」として登場している。
- 芸能関係
- 桑折貴之(お笑いコンビ・じゃぴょん)
- 鳥山明の娘がじゃぴょんの桑折のファンということから、じゃぴょん単独ネタライブの似顔絵、およびチラシを描いたことがある[256][257]。そのことは2008年6月7日放送の『やりすぎコージー・オ〜ガの泉2〜モヤモヤ芸人救済スペシャル〜』で語られた。
- 大川知英(お笑いトリオ・ニブンノゴ!)
- 『ドラゴンボール』のハリウッド化の話が出た際、一番初めに相談したほどの親友[注 19][258]。
- jealkb
- 鳥山明の娘がjealkbとマキシマムザホルモンのファンであり、jealkbがライブで名古屋に来た時は、仕事で忙しくない限りは参加している[注 20]。上記のじゃぴょんの桑折、ニブンノゴ!の大川もjealkbのメンバーである。またjealkbのメンバーでもある田村淳が香那と入籍した際には、結婚祝のイラスト付き色紙を贈っている[注 21]。
- マキシマム ザ ホルモン
- 娘と一緒に2012年10月29日に開催されたjealkbとマキシマム ザ ホルモンの対バンライブ「異色薔薇ノ歌合戦」に参加した。その際、鳥山明はマキシマム ザ ホルモンの楽屋に訪れてサインを描いている[注 22]。またライブで歌われた曲「「F」」にインスパイアされて『ドラゴンボールZ 復活の「F」』のアイデアを閃いた[265]。
その他タレントに頼まれて似顔絵を描いている(品川庄司の品川祐、次長課長の井上聡、麒麟の川島明、千秋[266]、jealkb(haderu、elsa、ediee、hideki、dunch、chaos、mofto)、ニブンノゴ!の大川知英、じゃぴょん、坂口博信など)
担当者
- 鳥嶋和彦
- 『Dr.スランプ』から第23回天下一武道会終了まで担当[267]。ラブコメ好きで、本作でも悟空とブルマを恋愛させようとして、ラブコメが苦手な鳥山は困惑していた[268]。鳥嶋は本作の連載にあたって『未来少年コナン』を3話ずつダビングして鳥山に送っており、少年と少女の出会いが大きなドラマにつながっていくというストーリーの作り方の根幹のシステムが『ドラゴンボール』連載1回目の構成に役立ったかもしれないと後に述懐している[269]。鳥嶋は後に、『ドラゴンボール』は『里見八犬伝』と『未来少年コナン』の変形であり、鳥山のことを他作家たちの積み重ねの上に成立した“偉大なるアレンジャー”と表現している[270]。副編集長昇格に伴い担当を外れたが、その後もことあるごとに鳥山の自宅に電話をしており、人造人間19号と人造人間20号が登場した際は「やっと敵が出てきたと思ったらジジイとデブじゃないですか」と言い、仕方なく鳥山が人造人間17号と人造人間18号を出したところ「今度はガキですか」と言い放ち、これがセル登場につながった[271]。
- 近藤裕
- ラディッツ登場から完全体セル登場まで担当。少女誌で実績を上げた後、鳥嶋が退任に当たって直接『週刊少年ジャンプ』に引き抜いて担当に就任させた。鳥山によると真面目そうな印象だが趣味人であり、気が合ったという[272]。冷静沈着な性格で、少女誌にいた経験から、常に女性読者を意識したアドバイスを心がけた。「好きにやれ」ということで鳥嶋からの引き継ぎは何もなく、宇宙が舞台になることまでは決まっていたため「宇宙の地上げ屋」はどうかと提案し、鳥山が面白がってフリーザ誕生につながった[273]。近藤は「担当になってからは方向性は決まっていて、ストーリーマンガで闘いをエスカレートさせることだけを考えた」と語っている[271]。トランクス登場時のタイムトラベルストーリーについて鳥嶋は「あれは近藤が担当者じゃないとできなかった」と述べており[271]、鳥山も近藤によく相談していた[142]。鳥山がセルを出したところ「かっこ悪いですよ。もちろん変身しますよね」と言われ、第2形態にすると「今度の奴、馬鹿みたいじゃないですか、早く完全体にしましょう」と言われたので「完全体セルは近藤さん好みのかっこいいキャラにした」と鳥山は述べている[271]。
- 武田冬門
- 完全体セル登場から最終回まで担当。『月刊少年ジャンプ』から異動してすぐに鳥山の担当になったが、鳥山との初対面で「それは申し訳ないことしましたね。もうすぐ『DB』を終わりにしようと思っているんです」と告げられていた[274]。『Dr.スランプ』が好きだった武田は鳥山が不本意で二枚目キャラクターを描き続けていたことを察し、「このままだと描きたいものをきちんと描かずに終わってしまいますよ。最後に好きなものを描いて締めませんか」と伝え、笑いを入れながら話が進む感じで魔人ブウ編が始まった[274]。武田自身がアイデアを出すことは特になく、鳥山も比較的自由にやらせてもらっていたようで、特に文句はないようである。また、ミスター・サタンに対し「このキャラ良いですね」と言ったことにより、当初はチョイ役で終わらせる予定だったサタンを、その後も登場させることになった[275]。
- 伊能昭夫
- 2016年に集英社内に新設された「ドラゴンボール室」の室長[276]、兼Vジャンプ編集長[277]。2023年5月16日に「カプセルコーポレーション・トーキョー」を設立[278]。現在『ドラゴンボール』のエグゼクティブプロデューサーを務める[279]。
アシスタント
アシスタントは歴代2人。『Dr.スランプ』連載初期はアシスタントを雇うこと自体知らなかったため、1人で全部描いていた[280]。アシスタントを呼ぶのは1週間に1日だった[280]。
- ひすゎし(現:田中久志)
- 『Dr.スランプ』前半を担当。
- まつやまたかし
- 『Dr.スランプ』後半から『ドラゴンボール』後半まで担当している[280]。『Dr.スランプ』のペンギン村の建物や風景、『ドラゴンボール』のカメハウス、ナメック星などの背景画を担当[281]。『ドラゴンボール』終盤でアシスタントを辞めることになり、「あと少しで連載が終わるから」ということで以降は鳥山1人で執筆していた[280]。2009年に再びアシスタントとして『おいしい島のウーさま』の作画に関わっている[281][注 23]。
アニメーター
- 中鶴勝祥
- 「『僕こんなの書いたっけ?』と思えるほど完成度の高いイメージボードを書いてくれる」と話している[282]。
- 山室直儀
- 「孫悟空を書けるのはこの人しかいない」と評している[283]。
- 芦田豊雄
- 影やハイライトの入れ方・カラーの処理の仕方に影響を受けたと公言している[127][284]。また、尊敬している人物の1人であると話している[127]。
脚注
注釈
- ^ 名古屋市出身とする文献もある[8]。
- ^ 名古屋(小牧空港) - 東京(羽田空港)間には1980年当時、全日本空輸 (ANA) が航空便を就航させていたが、同便は1964年に開業した東海道新幹線に旅客を奪われ[17]、1982年6月に廃止された[18]。
- ^ 公式に訃報が伝えられた2日後の2024年3月10日にナビゲーターのNaz Chrisと共に収録に臨んだ。3月8日以来、鳥嶋のもとには数多くのメディア取材依頼があったが全て断わり、自分の言葉を正確に伝えることが出来る環境のもとで鳥山への想いを語ることにしたという。
- ^ インタビューでそう答えた当時の愛飲銘柄はキャスター。
- ^ ただし例外はあり、1996年の『週刊少年ジャンプ』の映画『ファイナル・プロジェクト』の宣伝記事にてジャッキー・チェンとツーショットの写真が掲載されている。
- ^ 短期集中連載の『銀河パトロール ジャコ』も銀河パトロールシリーズの内の1つ。
- ^ 2016年4月に第二版発行。第二版の書名は『おいしい島のウーさま VS テクテク星人 ぐるぐる島の宝を守れ!』。第二版は冊子の表紙デザイン、中身のレイアウトなどが変更されているが、漫画の内容は同じである。
- ^ 奥付のモンスターイラストレーションには鳥山明と並んで中鶴勝祥の名前がある。
- ^ 奥付のモンスターイラスト・イメージイラスト製作が「フェイク・デザイン・ワークス」になっており、掲載されているイラストもパソコンで着色し直していたり鳥山明の原画ではない。
- ^ 鳥山が初めてアニメシリーズに脚本の段階から深く関わった作品。鳥山がコミックの原作と違わぬほど書き込んだ台詞入りプロットの中から90%以上のストーリーと台詞が採用されている。「企画の力 森下孝三東映アニメーション取締役副会長 ドラゴンボール"復活"の全貌」『日経エンタテインメント!』2013年5月号No.194、日経BP社、2013年4月4日、22-23頁。
- ^ 他のアバターデザインは鳥山明の許可を得て開発チームが作っている。
- ^ 『ブイジャンプ』1990年12月12日号に掲載。その後『Vジャンプ』2008年7月号(創刊15周年)でデザインが変更。『Vジャンプ』2013年7月号(創刊20周年)では進化したV龍(体の色も緑から赤に変わっている)が掲載された。
- ^ 『Vジャンプ』2011年6月号に付属。
- ^ イラスト集『鳥山明 the world』の84頁に掲載されている描き下ろしイラストが元デザイン。
- ^ 『ドラゴンボール』「其之五百一 救世主登場!?」のカラー扉絵で、ファインモールドがプラモデル化した「日本陸軍九七式軽装甲車テケ」を描いてミスター・サタンを搭乗させ、その車体にFINE MOLDSと記している。
- ^ ミッドナイト東海では笑福亭鶴瓶と対談した。その後『週刊セブンティーン1981年4・5合併号』でも笑福亭鶴瓶と鳥山明の対談が行われ、対談記事「新春あこがれ対談 Dr.スランプVS鶴瓶」が掲載された。
- ^ 当初は1995年3月10日 - 4月19日の開催予定であったが、阪神・淡路大震災の影響で開催延期となった。
- ^ https://news.yahoo.co.jp/articles/14c4894a0738d91db29bbf8d28598c0e3ed14ac3
- ^ 2009年6月11日放送『雨上がり決死隊のトーク番組アメトーーク!』で大川が語った。
- ^ 2012年11月17日放送のラジオ『ダイスケはん&ナヲのギンギラギンにさりげ肉』で語られた。
- ^ 2013年10月7日に田村淳のFacebookでイラスト色紙画像が上げられた[259]。
- ^ 2012年10月30日にマキシマム ザ ホルモンのTwitterでサイン画像が上げられた[260][261][262][263][264]。
- ^ 『おいしい島のウーさま』と同時掲載の『なぜテクテク星人はぐるぐる島を狙っているの?』では作画をまつやまが担当し、鳥山は監修と表紙絵を担当している。
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関連項目
- 愛知県出身の文化人一覧
- 手塚賞 - 審査員を務めていた。
- 天下一漫画賞 - 第1回の審査員を務めた。